鹿児島地方裁判所 昭和43年(人)1号 決定 1968年8月22日
請求者 ベトナムに平和を! 市民連合事務局長 吉川勇一
拘束者 鹿児島入国管理事務所長
被拘束者 古屋能子 外四名
主文
一、請求者の請求はこれを棄却する。
一、本件手続の費用は請求者の負担とする。
事実及び理由
本件請求の趣旨及び理由は別紙記載のとおりであり、これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
一、疎甲第三号証の一、二、同第四号証の一、二、同第五号証及び請求者及び拘束者の審尋の結果によれば、次の事実が一応疎明される。
被拘束者等は、昭和四三年八月一四日及び同月一六日沖繩那覇市において開催される原水爆禁止世界大会並びに基地反対行動に参加のため沖繩に渡航したものの同年同月一六日午前九時四〇分頃「基地侵入」の疑いで逮捕され、米国民政府公安局長ハリマン・N・シモンズの退島命令により同月一九日那覇港発の琉球海運「おとひめ丸」に乗船し、同月二〇日午後零時四〇分頃鹿児島新港に到着した。その際拘束者から出入国管理令第六一条に基づき、旅券法附則第七項、本邦から南方地域に渡航する者及び沖繩から本邦に渡航する者に対して発給する身分証明書に関する政令(昭和二七年六月三〇日政令第二一九号)所定の総理府発行になる身分証明書の呈示及びこれに帰国の証印を受けるべきことを求められたが、右身分証明書は所持していたにもかかわらず、右証明書の提出を拒否したため、拘束者から同日午後五時四五分頃総理府発行の身分証明書の呈示等法定の帰国手続をとるよう求められたのであるが、被拘束者等はあくまでこれを拒んだため、帰国の証印を受ける等の帰国手続を終らないうちに、再び沖繩に向け同船が出航したので結局上陸できなかつた。
以上の疎明事実によれば、被拘束者等において出入国管理令第六一条所定の正規の帰国手続をとることは極めて容易であつたのであつて、右手続をとりさへすれば直ちに入国できた筈である。被拘束者等は右手続の関係法令が違憲無効のものである旨主張するけれども、右規定は行政上の必要から出たものであつて直ちに違憲無効と断定することはできない。従つて右規定に従つて所定の帰国手続をとるべき義務を有する被拘束者等が、右手続をとりうる状態にありながら、自らの意思により敢えてこれをとらなかつたことが前記認定のとおりである以上、仮りに請求者主張のように被拘束者らが入国できない結果が生じたとしても、それは自ら招いた結果であつて、これを以て人身保護法第二条にいわゆる「法律上正当な手続によらないで、身体の自由を拘束されている」に該当するとはいえない。
よつて人身保護法第二条、第一一条第一項、第一七条、人身保護規則第二一条第一項第六号を各適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 松本敏男 藤田耕三 松尾家臣)
別紙
請求の趣旨
被拘束者等古屋能子、木村汀子、中島晢、中島秀俊、今井恵のため、拘束者に対し人身保護命令を発付し、被拘束者等を釈放する旨の判決を求める。
請求の理由
一、(1) 被拘束者等はいずれも「ベトナムに平和を!市民連合」(東京都新宿区大京町一三番地、代表小田実)の会員であり、昭和四三年八月一四日より沖繩・那覇市において開かれた被爆二三周年原水爆禁止世界大会に出席し、もしくは八月一六日の基地反対行動に参加のために沖繩に渡航した。
(2) 被拘束者等は右世界大会終了後、同年同月一六日、午前一〇時頃より開催予定の沖繩嘉手納空軍基地前でのB五二爆撃機撤去抗議集会に参加する予定でいたところ、にわか雨に遭い、基地正面附近のガジユマルの木陰に雨宿り中に、米軍武装APに「基地侵入」の疑いで、同日午前九時四五分頃全員逮捕された。
(3) その後被拘束者等は、米軍より琉球政府の手に移され、コザ署において取調中のところ、同月一七日一一時頃琉球列島米国民政布令第一二五号第七章第三〇条にもとづく同月一九日限りの退島命令(民政官に代り、琉球列島米国民政府公安局長ハリマン・N・シモンズ署名)を言渡され、やむなく同月一九日那覇港発の琉球海運「おとひめ丸」に全員乗船し、同月二〇日午後零時四〇分頃鹿児島新港に到着した。
二、(1) 被拘束者等は、右船上において上陸のため、入国審査官から総理府発行になる身分証明書の呈示をし、その身分証明書に帰国の証印を受けるよう要求されたが、右の要求を次の理由で拒否した。
(一) 沖繩は日本国であり、同じ日本国内の沖繩から本土に帰つて来るのに総理府発行の身分証明書の呈示を求めるのは、憲法第二二条一項の「移転の自由」の侵害であるので要求に応じられない。
(二) 出入国管理令第六一条で、有効な旅券の所持と、帰国の証印を要件として掲げ、これを沖繩から本土への旅行者に適用することは、右と同じ理由で違憲無効な法規なので、その義務を認めない。
(三) 昭和四三年七月一五日、被拘束者等と同じ見解に立ち、日本人であることを愛知県公安委員会発行の運転免許証を呈示して帰国証明書を羽田空港の出入国管理所より発行させた渡久地政司氏(愛知県豊田市宮上町二の二〇北県営住宅内)の前例がある。
被拘束者等も住民票・学生証等をもつて日本人であることを証明するので、それをもつて渡久地氏の前例にならつて帰国証明を発行してもらいたい。
(2) ちなみに、被拘束者等は渡久地氏の例と同じく、検疫・税関手続に対しては前者は既に乗船時において済ませ、後者は下船後直ちにその手続をとることを出入国審査官に通告している。
三、(1) しかるに、拘束者である鹿児島入国管理事務所所長山根重美氏は、同日午後五時四五分頃米国民政府の退島命令によつて乗船していた二二名全員を集め、「総理府発行の身分証明書の呈示をしないものは全員下船させない。この船は那覇に向つて出港するので、下船出来ない者は再度沖繩に行つてもらう」との下船拒否通告を言い渡した。
(2) 右二二名のうちには既に体力の限界にある者、その他の個人的理由から右の通告に反対しつつも再度の沖繩行に耐えかねる者も出て、二二名中一七名は総理府発行の身分証明書を呈示して下船したが、被拘束者等五名は自己の主張を貫くことこそが日本国憲法を守る義務のある国民のつとめであるとの決意のもとに、体力の限度を越えて、右入国管理所所長の通告を拒否した。その後、同日午後六時三〇分頃「おとひめ丸」は被拘束者等全員を乗せたまま鹿児島港を出港再度那覇に向つた。
四、拘束の違憲性
(1) 拘束の意義
人身保護規則第三条によれば「拘束とは逮捕、抑留、拘禁等身体の自由を奪い制限する行為」であると規定しているが、被拘束者等は後述の如く違法な出入国管理事務所長の違法な行政処分により、船舶内に留めおかれ、沖繩・那覇港においては勿論、自己の見解を曲げることなしには、再度鹿児島港においても下船を拒否され、永久に鹿児島-那覇間を船舶上ですごさねばならず、このことはまさしく身体の自由を奪い又は制限する行為といわざるをえない。
(2) 拘束者
右述の如く、身体の自由を奪い、又は制限しているのは出入国管理事務所所長の下船拒否通告という行政処分である。よつてこの場合の拘束者は、現実に拘束状態を惹起せしめている行政処分者としての鹿児島入国管理事務所所長である山根重美氏が拘束者である。
(3) 拘束の違法性
(a) 出入国管理令第六一条によれば、本邦外の地域から本邦に帰国する日本人は、有効な旅券を所持すること、旅券に帰国の証印を受けることの二つを義務づけている。(ちなみに、沖繩への、または沖繩からの旅券に関しては旅券法附則七項・八項「本邦から南方地域に渡航するものおよび沖繩から本邦に渡航する者に対して発給する身分証明書に関する政令」昭和二七年政令二一九号により総理府の発行する身分証明書をもつて旅券に代えている。)
しかし、右規定によつても、右規定に違反して有効な旅券を所持せず、そのため帰国の証印を受けえない場合に、その者が日本人であり、帰国する者である限り、いかにするかの強制規定はない。
それに反して、本人が外国人の場合、および日本人でも出国する場合には、同法第二五条第二項、および第六〇条第二項において「出国してはならない」との強制規定を特別におき、それをうけて同法第七一条はそれに違反する者に「一年以下の懲役若しくは禁こ又は十万円以下の罰金」の罰則を規定している。
しかし、帰国する日本人である限りは、同法第六一条違反の効果として、「下船させてはならない」とか罰則とかの強制規定は存在しないのである。
即ち、出入国管理令は、外国人の場合、出国する日本人の場合と、帰国する日本人の場合とは、法文上明白に区別し、前者に対しては有効な旅券の所持と出国の証印を義務づけるとともに、その義務違反に対しては、強制処分としての出国拒否、及び罰則を規定している。しかし後者に対しては下船拒否及び罰則の規定等の強制処分を準備していない。
このことは、同法第六〇条が単なる訓示規定であり、その違反に対して法は何らの強制処分を予定していないことを意味する。
(b) しかるに、拘束者は故意又は過失により法の解釈を誤り、総理府発行の身分証明書の呈示を拒否した被拘束者等に対し、右の呈示拒否を理由に「おとひめ丸」からの下船を権限をこえて違法にも拒否し、同船船長に対し、被拘束者等の身体を船内に拘束するよう指示した。そのため、被拘束者等は嘉手納基地での逮捕、拘留以来、疲労甚だしきにもかかわらず、本土を目の前にして、鹿児島港に下船できず、再度退島命令の出ている沖繩に出航することを余儀なくされた。
(c) そもそも、同法第六一条の立法理由は、外国人等の日本への密入国を制限するために、日本人と称する者が真に日本人であるか否かを確かめる方法として立法されたものであるから、別の方法で(例えば渡久地氏の例の如く公安委員会発行の免許証、その他、住民票、戸籍謄本、学生証、あるいは米民政府発行の日本人であることが明記されている退島命令書等)日本人であることを証明出来れば、即ち身分証明書に代わるものがあれば、それで代えることを何等禁止するものでもなく、いわんやその義務違反に対して強制処分をもつて対処することを何等予定しているものではない。
右の点について、渡久地氏に対してとつた羽田空航入国管理事務所の行政処置こそが法の予定した立前であり、鹿児島入国管理事務所長のとつた今回の行政処分は違法というほかはない。
(d) さらに、出入国管理令第二条において、右政令にいう「本邦」を定義して「本州、北海道、四国及び九州並びにこれらに附属する島で法務省令で定めるものをいう」と規定している。同法第六〇条第一項は、「本邦以外の地域」から本邦に帰国する日本人にその適用範囲をしぼつている。
そこで、沖繩は「本邦以外の地域」といいうるかの問題が発生する。法務省令は確かに沖繩を「本邦以外の地域」と規定はしているが、右省令はその範囲内でわが国憲法の適用範囲を誤り、その範囲内で違憲・無効である。
なぜなら、日本は沖繩に対して主権を保有するものであるから、平和条約第三条により沖繩の施政権がアメリカ合衆国に委譲されても、アメリカ合衆国は日本の主権が制定した最高法規である日本国憲法に抵触しない範囲内において、施政権を行使しうるにすぎない。
しかも、日本国憲法第二二条第一項は「移転の自由」を規定している。
故に、同法第六一条の「本邦以外の地域」のなかに沖繩を含める法務省令は、「移転の自由」を侵害するがゆえに違憲・無効である。
即ち、同法第六一条の「本邦以外の地域」とは、日本国の主権の及ばない外国の意味と解して初めてその合憲性が確保されるものである。
故に、沖繩から本土への旅行者である被拘束者等に対して、同法第六一条の規定を適用して身分証明書の呈示を求めた本件行政処分は、違憲・違法のそしりをまぬがれない。
五、以上述べたごとく、拘束者の行なつた本件行政処分は違法なものであり、右のごとき違法な行政処分に対して身をもつて断乎斗うものこそが、日本国憲法の予定している日本国民像である。
被拘束者等は、日本国憲法第一二条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつてこれを保持しなければならない」との規定にもとずき、違法な行政処分と斗い、そのために自分の自由の拘束を受けている。
万一、被拘束等を放置するならば、昭和四三年八月二二日午後三時頃入港する琉球海運「おとひめ丸」は、被拘束者等を乗船させたまま再度出港し、被拘束者等は違法な行政処分に屈する以外には半永久的に鹿児島-那覇間を自由を拘束されたまま航海し続ける運命にある。しかも、被拘束者等は八月一四・五日頃本土を離れて以来、嘉手納米軍A・P・による逮捕、コザ署における勾留・取調、米国民政府による退島命令、鹿児島入国管理事務所長による違法な下船拒否処分等により極度にその心身を疲労させ、重大な人権侵害問題となつている。
よつて、「おとひめ丸」の鹿児島出航前に人身保護法第一〇条による仮釈放の決定を求めるとともに、人身保護法第一二条及び人身保護規則第四条にもとずき被拘束者の救済のため本請求をする次第である。